エッセイ

贅沢な時間の使い方

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僕の人生のキーワードに「時間」という言葉がある。それはいかに効率よく時間を使うかとか、限られた時間をどう使うかとかではなく、いかに無駄に時間を使うか、ということだ。僕は時間に縛られるのが大嫌いで、時間を作った人を暗殺したいくらいだ笑(実際、めちゃくちゃ助かっているのだが。。)

せめてもの争いとして時間を無駄に使って時間を作った人に抵抗したい、という気持ちがあるのだろう。というか僕自身が時間を操っているかのように自分を惑わすためなのかもしれない。ただ、時間を無駄に使うと言っても、暇つぶしとはまた別だ。暇をつぶすということは、用事がない時間をないかしらで埋めるという行為。僕の時間を無駄に使うという行為は、明確に◯◯をするといった時間を“埋める行為“ではなく“使う行為“なのだ。

暇つぶしを例に挙げると、広告で流れてきたソシャゲを入れてやるとか、てもち無沙汰を解消するためのSNS徘徊とか、集合時間前に到着して聴く音楽とかだろう。僕の言う時間を無駄に使う行為とは、週末の寝起き直後に天井を眺める時間、公園のベンチで目をとじ鳥の鳴き声に耳を傾ける時間、集合場所に遠回りして行く時間のことを指す。

要するに考え方の問題で、脳を使って◯◯をする、という決定事項があるかないかが肝なのだ。「プーと大人になった僕」という作品でプーさんはこう言う。「なにもしないをする」。この言葉がまさに物語っている。

空を見上げると雲がゆっくりと流れている。もちろん雲が流れているのではなく地球が回っているのだが、僕の目には雲が流れているように見えるので、やはりそうなのかもしれない。この雲が流れていくのを見る無駄な時間がたまらなく好き。

贅沢な時間の使い方という観点で言えば、豪華客船での世界一周クルーズ旅行でも、ミシュラン5つ星レストランでの食事でも、ランボルギーニで街中をドライブする時間でもない。有給休暇をとって近くの公園で空を見上げる行為こそ、贅沢すぎる無駄な時間の使い方と言えるだろう。

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まえぷログ
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